出雲路の煙
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非電化駅撮りシリーズ第4弾?
初めて島根県を訪れた時、この画像の光景を目にしました。一瞬「50系客車が火事だ!!」と、びっくりしました。まあ、実際に火事なら、こんな風に駅で列車の撮影など出来ないでしょうがね(゚∀゚ )
皆さんはご存知と思いますが、これは暖房の蒸気、SGの煙です。ただ、電車王国の静岡県東部の人間からしたら、列車が煙を吐くのは大井川鉄道のSL位しか知らないので、この光景は、なかなか驚かされました・・・・。
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反対側に回って、もう1枚。DD51からも、少量ですがSGの煙が出ています。
今の時期になると、いわゆる汽車は蒸気暖房を送る為、このような水蒸気を発しながら走っていたのでしょう。私は、そのような光景を見たのは、これが最初にして最後でした。
何しろ50系客車そのものが、車齢の割に、動力近代化、合理化の旗印の元、あれよあれよの間に姿を消していったからです。故に、私が撮影できた50系客車の画像は、この1枚のみです。
特別な急行
![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/e/express_alps/20010101/20010101044250.jpg)
急行時代の「くまがわ」です、キハ58系も懐かしの車輌になり久しくなりました。
「くまがわ」の由来は、この列車内で熊川哲也さんが黒タイツで踊り始めた所から名付けられたと、アンサイクロペディアに書かれていたので、恐らく肥薩線での車窓のお供、球磨川からのネーミングだと思います。
しかし、何で同じ沿線の川からのネーミングなのに、「ふじかわ」や「くまがわ」は川まで入れるんでしょう?じゃあ「スーパーあずさがわ」するべきである、とか若しくは、解りやすく「ふじ」とか「くま」にするべきである。って話をする方は・・・・、いらっしゃいませんね(゚∀゚ )
「くまがわ」でボケるシリーズは、これくらいにしまして。ちょっと画像後方の車輌にご注目ください。
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香椎線からコンバートされた「アクアエクスプレス」が連結されています。
平成6年頃からJR九州は一般ダイヤの列車として運行するようになり、その煽りでアクアエクスプレスが熊本に渡り、このような急行運用に入っていたのです。車内はジョイフルトレイン並で自由席扱い。座席に関してだけ言えば、今の特急くまがわよりは数段上を行く、特別な急行だったと言えるでしょう。
こういうチグハグな編成、個人的には好きですが、キハ65がキハ28になってしまって、相当なパワーダウンになっていないか?という心配をしながら熊本駅で眺めていた記憶があります。
紀州の麗人
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今年は高山線開業80周年ということで、80系気動車の画像をアップしてみましたが、どうにもこうにも「ひだ」に関しては、これしか画像がないので「南紀」の画像で「南紀」の話をしてみたいと思います。
キハ80系というよりも、キハ82は、私が一番最初に好きになった車輌です。この車輌から鉄道趣味が始まって今に至る次第です。国鉄3羽カラスと言われた151(181)系、20系、キハ80系。その中で一番最後まで日常的に走っていたのが、このキハ80系でした。
幸い学生になって、ある程度お金が自由に使えるようになるまでこの車輌が現役で居てくれたおかげで、当時のワイド周遊券で充分堪能出来たという思い出もあります。しかし、その頃は乗り鉄+街歩き派だったので、あまり撮り鉄には不熱心だった為、画像はスナップ写真程度しか残っておりませんが(^^;)
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南紀号の終点、紀伊勝浦駅で撮影したものです。
本来なら4連なので、編成全体が入る筈だったのですが、この日の南紀号は6連で、カーブのかかった紀伊勝浦駅では全体を入れる事が困難だったので、こんな画像になっております。噂では「いつもガラガラ」と聞いていましたが、夏場の海水浴シーズンだった事もあり中々の乗りで良かった反面、全体写真は取れなかったという事態になりました。
しかし、いつ見てもこのデザインは秀逸だと思います。これが後日、同じく貫通型の特急車両の373系に生かされる訳ですから、昭和30年代に、このデザインを開発した先人のセンスは素晴らしいと思います。
道具を選ばず
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花輪線の快速八幡平が十和田南駅に入線するところを撮影した1枚です。
花輪線の気動車は、途中に33パーミルの急勾配がある所から、キハ58・52といった2エンジンの車輌で運転されていたのは皆さんご存知のことだと思います。それ故最後まで非冷房のまま、キハ110系にバトンタッチされた訳です。
今でも八戸線のキハ40系に、この塗装が受け継がれていますが、シンプルで結構好きな塗装です。
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そしてキハ58同士、快速八幡平同士が、この駅で交換をします。
ここで種明かしですが、今回の写真は某社の「う○るんです」で撮影したものです。駅の構造上、結構スローダウンして入線してくるので、行けるかな?と思って撮ってみたら、意外と上手くいった次第です。
そして、この旅行の時は、カメラはそれしか用意していなかったので、「道具を選ばす」を「道具を選べす」に訂正させていただきますm(。。)m
主役になれなかった電車
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E231系、私の好きだった113・115系を追い出した電車です。
まあ、そうは言っても鉄道車輌は機械ですので、ある程度の寿命やサービス・安全面の限界が来たら置き換えられるものですし、それを言ったら、私より先輩の世代の方々にとっては、113・115系が私の好きだった70系・80系を追い出したという泥仕合必至ですので、その話は、それくらいにしたいと思います(笑)。
寧ろ気になったのは、大々的に新車で登場したものの、首都圏制覇は後輩のE233系に譲ってしまった薄幸さを感じたのでした。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/e/express_alps/20010101/20010101042040.jpg)
どうも、末尾が1の車輛にありがちな、中途半端な車輌になるというジンクスに、ドップリはまってしまったように思えます。
101系、111系、201系、211系、キハ81・・・・。などなど、主役になれない車輌は末尾が1の場合が多く、その仲間になってしまったかな?後輩のE233系が103系の製造両数を追い抜きそうな勢いで増備されているのに、たかだか数年の登場時期の違いで、かくも違ってしまうのか!?
そして、早くも山手線から追い出される運命まで決まって・・・・。
主役になれない、どこか運の悪い電車だと感じる時があります。
早いと嫌われる
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常磐線の103系の画像が出てきたのでアップします。
確か仙台あたりに行った帰りに撮影した1枚だと思います。当時103系も残りわずかになり、取り敢えず出くわしたからという事で、記念撮影的に撮ったものです。15両編成の103系というのは常磐線の名物(迷物?)でもあり、編成によっては10M5Tという、とんでもなく地球環境によろしくないものも走っていました。
当時、綾瀬に住んでいた知人は「103系が来たら音で解る」と豪語していました。とにかく音がうるさいそうです。冗談で「爆発するんじゃないのか!?」って位の音を立てて走っていると言っていました。正直、一部の103系ファン以外にはうるさい旧型電車だったようです。
しかし、今思えば、常磐線だけ4扉15両編成が走っていたっていうのは、実は先取性に富んでいたようにも思えます。今やどこもE233系やE231系、って事は、昔から4扉15両編成の走っていた常磐線は先を行っていたとも言えそうな気もします。103系がボロかっただけで(゚∀゚ )
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/e/express_alps/20010101/20010101021320.jpg)
その頃取手以北へ向かう列車では、こんなのが走っていました。確か左がクハ403、右はクハ401だと思います、いわゆる中電というヤツです。沿線ではまだこっちの方が良いなんて言われていました。って言うか、常磐線100周年ステッカー付きっていつの写真だというツッコミが来そうですが(^^;)
そしてこれらは、ご存知「電気が消える電車」です。あれを初めて体験した時、ドリフのトンネルの中を通過中に相手の弁当や酒を飲食するコントが出来そうだ、なんて思ったりもしました。今はデッドセクションでも電気のついたまま通過するので出来ませんが・・・・。
話を戻しますが、やはり3扉車は首都圏のラッシュ対策にはそぐわないものだったので、老朽化とともに廃車になったり、地方へ送られたりとなったのでしょう。そういや、うちの近所にも首都圏をお払い箱になった3扉ロングシート車が走っているなぁ。あれの中では弁当を食おうとか思えないから、ドリフのコントの再現も不可能か・・・・(゚∀゚ )
休日は山梨にいます
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休日は各種の臨時列車が中央東線を走り、沿線への観客誘導をします。「休日は山梨にいます」というコピーがありますが、乗客だけでなく、列車も休日は山梨にいる訳です。
先ずは185系の「はまかいじ」です。
当初は甲府行だったものが、徐々に西に延長されて遂には松本行となった次第です。しかし、松本まで行くのに「かいじ」を名乗るのには、若干違和感があります。正直、甲府から先はかなりスカスカで見るも無残な乗車率なのです。甲府(竜王)まではB特急料金、韮崎以西はA特急料金というのも影響しているかも知れません。
そうは言っても、休日、地元で185系の撮影が出来る貴重なチャンスで、且つ「かいじ」を名乗っているので、山梨観光のアクセス列車だと思います。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/e/express_alps/20010101/20010101055550.jpg)
ご存知と思いますが、小淵沢まで行ったあと、富士見→酒折→小淵沢とウロウロしているので、酒折~小淵沢では、撮影チャンスが上下合わせて4回ある事になります。近所の駅で見れるのも、その行き来の途中の姿です。
休日の中央東線は、他にもお座敷列車の入線もあり、実に華やかで・・・・、
あ、1本忘れていました(^^;)
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「ホリデー快速富士山」です。
大月から富士急行線に入ってしまうので、国中には馴染みが薄いですが、1本しかないあずさカラーに赤富士のヘッドマークが綺麗な列車です。
これもまた立派な「休日は山梨にいます」列車です!!