歴史の生き証人

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115系「給水塔さん、こんばんは」

給水塔「お、お前も随分長い事頑張っているな」

115系「いやいや、気がついたら、ここでは最年長になっちゃいましたよ、後輩の201系がいなくなって、仲間の長野色の115系すらどんどん引退ですよ」

給水塔「そうだな、お前の次が189系だもんな。あいつなんか、本当にたまにしか来ないくせに、いつも素通りだよ(゚Д゚)」

115系「彼も一応、まだ特急を担当しているから、そこは勘弁してやってくださいm(。。)m」

給水塔「でも、あいつも長くないんだろ?」

115系「それを言ったら私もそうですが、何か新幹線が出来たら、また立場が危うくなるみたいですね」

給水塔「お前みたいに地道が一番だ」

115系「いやいや、僕は分相応になっているだけです」

給水塔「そんな事はないぞ、一部の古い人は、山スカっていうのは70系と言い張る人もいるが、70系の何倍の期間、40年近く地道にやっているお前。こんな田舎の駅で学生や登山客を運んだお前は、充分山スカを名乗っていいぞ」

115系「ありがとうございます。70系先輩の美称を認めて頂き光栄です。でも、あれ、知ってます?「暮らしの手帳」っていうブログをやっている奴が、僕のことを八王子支社色って揶揄したんですよ」

給水塔「あいつは斜に構えるのが好きな奴だからいいんだよ。そのくせ、お前をストーカーのように撮影しているだろ」

115系「ははは、そうですね。たまにわざわざ高尾や八王子に来ますよ、あいつ。こっちから山梨に来るのに、何でわざわざ来るんでしょうね」

給水塔「今風に言うと、ツンデレだろ?」

115系「よくそんな言葉をご存知ですね」

給水塔「ここを使う高校生が喋っているから知った」

115系「じゃあ、大月まで行って戻って来ますんで、またです」

給水塔「おお、じゃあ、気をつけて行けよ」

115系「ありがとうございます、では行ってきます」


そんな声がしそうな、日野春駅の夕暮れ。

快速みすずの転落

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懐かしい画像が出てきたのでアップしてみます。

169系時代の「快速みすず」の車輌の最末期のもので、長野から飯田まで乗り通した時のものです。ダイヤ改正でサハ165が消滅するということで、長野からみすずに乗って飯田に降り立ち、それから飯田の街や鼎などを訪ねて、同じ車輌の上諏訪行きに乗って帰った日帰り旅行をしました。

急行型とはいえ、車内は新幹線の発生品を使った快適な車輌。快速列車の中では、今は無き伊那弁の車内販売などもやっていて、快速といえども、線区を代表する列車だな、と関心したのを覚えています。

といいつつ、やはり4時間以上乗るのはちょっとエラかったです、と言いつつ、帰りも2時間かけて同じ電車で帰るという自己矛盾。あの頃は若かった(゚∀゚ )


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その後、快速みすずは115系に統一された状態で推移したのですが、東海が313系を投入してグレードアップしました。転換クロスシートで快適な車輌になったと思いきや、遂に1日1本になり、使用車両はこの211系になりました。簡易リクライニングの169系からロングシートの211系と、一気に転落した感があります。

しかし、これが新車って、静岡に比べて約四半世紀遅れじゃねぇか(゚∀゚ )

快速みすず、最初の169系に比べて、随分グレードダウンしたなと思ったのでした。もう今更頑張って撮影することはないでしょう。後々313系が快速みすずに登場するようになったらまた考えますがね・・・・。

痛い災害

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既に各種報道でご存知と思いますが、東海道線の由比~興津で地滑りが発生し、当面運行出来ない状況になっております。

丁度この画像の奥のほうが被災現場に当たるようです。幸い人的被害は避けられたようですが、この前後に倉沢地区や興津東町地区の民家密集地帯もあり、この山の上にお寺や老人ホームもあるので、早期の安定化を願うばかりです。

何年も前から、この界隈は昔から「日本のアキレス腱」などと呼ばれており、今回の東海道線と国道1号通行止めは、まさにアキレス腱部分断裂と言える状態でしょう。

そういえば、高校時代の科学の先生が雑談で「オレが北朝鮮なら、ここに一発ミサイルをぶっ放せば日本は混乱する」なんて不謹慎な話をしていましたが、奇しくもその通りになりそうです・・・・。


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旅客に関しては、沼津・富士に残っていた車輌と静岡で常駐している車輌で由比・興津折り返しにして、この区間代行バスと出来るでしょうが、問題は貨物列車でしょう。

一番の通過区間が当面使えない格好になった訳ですから・・・・。

この写真の撮影ポイント、私の静岡遠征の時のお気に入りスポットの1つなのですが、この後ろにトンネルがあって、その抜けた所が被災地になります。この間「山は怖い」みたいな話を書いたら、その怖さを再度体験させられる事件。そして日本の物流への大打撃。

無事に早期復旧を願うばかりです。

車輌の向きについて考える

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国鉄の遺物、205系改め富士急6000系です。最近この車輌に不信感があるのです。ご存知の通り、富士急行線は大月から河口湖まで、標高差500mを上りっぱなしの片勾配の路線構造です。

その路線の電車が、何で行程の殆どの区間で、重たいクモハ相当の車輌が勾配の上り側、富士山駅側にあるのか?確かに1000系もパンタ搭載車輌が富士山駅向きですが2両と短い。に対し、この6000系は3両編成で、重たいクモハ相当の車輌が勾配の上側にうるのでしょう?

2月の大雪の時、超大雪のこの界隈に近づくことは出来ませんでしたが、聞いた話だと、この車両が使い物にならず、1000系がフル稼働したようです。この6000系が登りきれなかったらしく、山梨県内では、最後まで通常運転に戻らなかったのが富士急行線でした。


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参考までに、JRから乗り入れる115系。たまたまでしょうが、重たいクモハの方が下り勾配側になっています。碓氷峠の例でお解りになると思いますが、重たい方が麓というのが片勾配の鉄則だと思うんですね。

何であんな配列になったのでしょうかね?

詳しい方、是非ご教授ください。

美しくて恐ろしい者

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広島の大規模地すべりで多数の犠牲者を出したのに驚き、少しほとぼりが醒めた頃、木曽の御嶽山の噴火が戦後最悪の犠牲者を出したというニュースを聞き、自然っていうのは恐ろしいな、そして人間とは非力なものだと痛感しております。

被災された方がへのお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた方々へのご冥福をお祈りいたします。

本題ですが、中央線の115系とかを撮影する時、バックに赤石山脈やら八ヶ岳を入れて撮影する事が多々ありますが、八ヶ岳は元々富士山より高い山が爆発で吹っ飛んで今の形になったらしいですし、隣の茅ヶ岳(ニセヤツ)もバリバリの火山です・・・・。

 画像の115系のバックの山は「白峰三山」、右の甲斐駒ケ岳から流れる大武川。甲斐駒からの土砂防止の為に昭和30年代から延々と砂防工事をやっている、賽の河原の石積みのような終わらない工事。自然というのは綺麗でもあり暴威でもあるなと思ったりします。


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そして私のエリアで忘れてはいけないボスキャラ、富士山です。

富士山。見た目は綺麗ですし、豊富な湧水で恵みを与えてくれますが、これもまたバリバリの火山であり、時折火山性微動を起こしている山です。だいたい50年~350年周期で爆発するという説がありますが、最後の噴火が宝永の噴火。1707年の話ですから、かれこれ307年噴火していない事になります。

山を見ながら、そろそろ来てもおかしくないぞ・・・・、と思う事もあります。そしてこの山も大沢崩れという、こちらも何時まで経っても砂防が終わらない場所があります。子供の頃、これが土石流を起こして、実家の近所の橋が架け替えになり、あっという間に護岸工事が進んだという覚えもあります。

 山はやっぱり怖いです。故に山岳信仰というものが存在する所以なのでしょう。

平成のたくさん系

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私が東京に居た頃の話ですが、JRの東京近郊の路線はどこも103系だらけでした。例外は山手線・横浜線の205系と中央線の201系位でしょうか?勿論他車との混用という路線もありましたが、大概の路線には103系が走っていました。

それを揶揄して、103系ならぬたくさん系などと言っていました。事実3000両を越す製造数は、国鉄がJRになって各社が各々車両を出すようになったので、恐らく破られないんじゃないのか?とも言われていました。

そんな103系も、205系や209系の投入であそこで消え、この辺から消えと物凄い勢いで減少して行きまして、東京からは姿を消した訳であります。当時の私ですが、この頃から中央線で115系ばかり追いかけていたので、あまり感傷的にはならなかったのを覚えております。毎日通勤で103系に乗っていたので、あまり興味がなかったというのも事実です。


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そして時は流れ、東京近郊路線の通勤型としてE233系なる車輌が登場して、近場の201系やらあそこの205系やらをどんどん置き換えて行きました。

そして驚いたのが南武線の置き換えが完了すると、総製造数が、あの103系を抜くというのです。ごく初期のこのブログや前述の冗談話でも、製造数の多さから「たくさん系」と言っていた記録を抜くんですね。平成のたくさん系の称号を与えても良いかと思います(笑)。

これだけ増えると、これからカラーバリエーションやら形態を具にウオッチするのも面白いかも知れません。事実、読者さんから「中央線だけラインカラーの帯が窓下に回っていない」という違いのコメントを頂き「あ、本当だ」と気づいたり、以前掲載した「ジジ鉄vs小鉄」のように、其の辺のお子さんに教えてもらったりという楽しみもあるかも知れませんしね・・・・(笑)