アングルの匙加減

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いつもはこのようなアングルで撮影する事の多い、ここ金手駅での撮影です。

だいたい立ち位置は甲府寄り2両~トイレに降りるの階段跡付近になります。その付近に居れば、デジカメの技術の進化により、どなたでもこのようなカッコイイ115系の写真の画像を収める事が出来ます。

多少斜めになっても、今やPCとつなげば、傾きの調整からトリミングまで自由自在。いい時代になりましたw

以前出先で、PCでトリミングすりゃいいや。何て話をしたら、若い子に「トリミングばっかりじゃないですか!?」なんてツッコミを入れられたので、胸を張って答えましたよ。

「別にプロを目指している訳じゃないし」ってwww(←堂々の開き直り)


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そうは言っても、アングル選びは重要です。いつも同じだと飽きられてしまうので、3連はガッツリバックして違うアングルで撮影してみました。

バックに○○の科学のポスターがありますが、気にしないでくださいwww

今度はこのアングルで6連を撮影された人のように撮影してみようかと思っております。ただ、被り覚悟のアングルになるでしょうが・・・・。

大都会静岡

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清水~草薙の一部区間は、JRと静鉄が並行して走る複々線区間のようになっています。沿線にはこ洒落た住宅と昔ながらの住宅が入交り、掘割のような区間あり、4線跨ぐ高架橋や踏切有りで、複々線ベッドタウンの風景のよです。

東海道線総武線で見たような雰囲気。複々線の通勤路線に例えるなら、清水の次は草薙まで駅のないJRは快速線のようです。


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そして、入江岡、桜橋、狐ヶ崎とこまめに停車する静鉄緩行線という所でしょうか。

子供の頃、急行富士川に乗って静岡に行く時、165系電車が静鉄を抜いていく様は、実に痛快でした。速さの国鉄、マメさの静鉄。もう東京みたいじゃん!!って感動しました。

事実、東京で暮らした時、総武線の113系に乗りながら、黄色い103系や201系を追い抜いていくのは、実に爽快でした。そして、この風景を思い出すのです。まあ、千葉に比べたら、全然編成は短いですがね(笑)。

この緩行と快速のような複々線。子供の頃、この風景を見るたび「静岡が近づいてきた」と、気が引き締まり、そそっかしいので忘れ物がないかと再確認をしていたのでした。

電車にバイバイ

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長野色の115系C2編成が運用から離脱して間もなく2週間になろうとしております。またC2編成の画像が出て来たのでアップします。

これは大月駅猿橋駅の間くらいの場所の踏切です。何度も登場した場所なので、ご存知かと思います。周囲の木の色づき具合から見ると、恐らく冬場に撮影したものかと思われます。この時は来た普通列車は取り敢えず撮影しておこうというスタンスで、デジカメの画像収容枚数の多さに安心して撮影しまくっていたと思います。

そんなデジカメのおかげで多数の撮影が出来、このような前触れもなく消えていった車輌達の在りし日の姿を画像として残せる。いい時代になったと思います。


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これから多数の115系が離脱していくと思われますが、M編成とC編成に関しては、一応全編成撮影済なので、これからは落ち着いてあくせくせず撮影出来るかと思います。

そして確実に115系電車は淘汰の方向に向かって一直線なのは確かです。この時は、軽い気持ちで、電車にバイバイしている子供の写真を撮影しました。ただ、画像を見ると、この水色の電車が何処か遠くへ行きつつあるメタファーだった様にも見えます。

そしてE233系も走るこの区間では、子供達の目には、新しい電車の方が綺麗で長くて魅力的に見えるかも知れません。

趣味の極北

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どう述べていいか解らない、大井川鉄道井川線の列車の画像です。

勿論、途中にアプト式あり、秘境駅あり、風光明媚な鉄橋ありの素晴らしい鉄道路線ですが、閑蔵駅までは並行するバスの方が早いとあっては、その価値も危うく感じますが、赤字は中部電力が補填しているので、実は本線よりも経営は安定している、不思議な線路です。


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千頭駅で折り返しを待つ井川線列車。この列車から降りてきたカップルの女性が、とんでもない感想を述べていました。

「もう、いい」

おいおい、それはないろう!!狭くて小さくてれのろい列車だけど、こんなミニチュアスペックの鉄道は、日本でここだけだぞ!!それに向かって!!

まあ、でも、アプトでもなければ鉄橋を渡っていない井川線を撮るのも、なかなか根性が要ります。でも、逆に言うと、あの有名なシーンは長島ダムの水没のおかげってのもありますがねwww

昭和は遠くなりにけり

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また書籍の話になりますが、双葉社の「首都圏鉄道完全ガイド・主要JR路線編」なる本があります。

山手、中央、総武・・・・、と、東京の路線の車輌達や沿線の都市や駅前マクドナルドある率などが掲載されており、色々な角度から各路線を切っている面白い書籍でした。

主力車輌がメインに来て、そのあと各々の路線を走っている車輌がピックアップされていますが、何が驚いたかと言うと、完全な国鉄の車輌が2種類しか残っていなかった事です。その1つが、この185系。東海道線のコーナーの最後の方にこそっと掲載されております。この雑誌独自の調査による占有率は18%だそうです。


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もう1つが中央線の115系、こちらも隅っこにこっそり掲載されておりました。こちらに関しては占有率3%にして、この車輌以外はVVVF化が完了しているという記載。でも、チョッパ制御が全滅なのに、抵抗制御が残っているって、中央線はお爺ちゃんと孫だけになっている所でしょうか?(笑)

まあ、JRになって27年が経過し、次々と新車が投入され、東京で見れる昭和生まれの抵抗制御車が185系と115系だけになっていた事に唖然としました(冷静に考えればその通りですが)。

生き残ったこの2つ、特殊能力持ちにして万能で丈夫な車輌なのかな?と思いました。そして、年月が去っていった事を痛感したのであります。

惨劇の巨人

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今年もセ・パ交流戦を行っており、千葉ロッテの煽りポスターが話題になっています。

そうそう、千葉ロッテというと、丁度山手線に6扉車が入った頃、その車内での文字放送。

千葉ロッテマリーンの本拠地「千葉マリーンスタジアム」を「千葉マ」と略すのはいかがなものかという同僚が居たので「じゃあ、千マリにするか?」と提言した所「それだけは勘弁してくれ」との事でした。

さて本題ですが、JTBパブリッシングから「国鉄・JR悲運の車両たち」という本が刊行されております。中を開くと「ああ、こんな車両があったなぁ・・・・。」と懐かしいくも薄幸な鉄道車両が掲載されております。EF61、62系、E10、DD54などなど。その中でJR型の悲運の車両として掲載されているのがこのEF200であります。


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詳しい経緯は皆様御存知たど思われるので略しますが、簡単に言うと、地上設備が借り物だった事とバブル崩壊がこの巨人の悲劇だったと言えるでしょう。

EF65重連でもお釣りのくる6000kwのパワーを出す事なく、20年以上経過し、20両の少なさから、何気にいつ廃車になってもおかしくない車両でもあります。EF210という丁度いい機関車を配置すれば良い訳ですから。今後、何年使うのでしょうか?

夏の思い出

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3年前の節電運転の時の画像が出て来ました。この時は、甲府で乗り換えて小淵沢までの列車を6連ではなく3連に切り替えて運転しておりました。

この日、甲府小淵沢の運用に就いていた車輌、その1が豊田区のM7編成でした。その右に入線してきたのがN25編成。オール1001で組まれた、ちょっとメモリアルな感じの3連です。

何でもこのN25編成も、最近運用から外れたという噂を聞きました。C編成ばかりではなく、N編成も相当数運用から外れているようです。色々なソーシャルメディアで拝見させていただきましたが、長野工場に幾つもの長野色の115系が並ぶ姿は、ショックでもあり、来るべき時が来たとも感じました。


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以前掲載したと思われる画像ですがご容赦を。

この日は、N14編成が小淵沢甲府節電折り返し運用、その2でした。この編成に関しては、今は新潟に転属になったようで、事と次第によっては妙高高原か二本木あたりまでは近付くことがあるでしょうが、我々からしたら、結構離れた場所であり、恐らく今後見ることはない車輌になると思います。

3月の改正で、一気に115系N編成の甲府乗り入れが削減され、代わりに211系N編成。もう少し、半々位で置き換えて欲しかったなぁ・・・・。と贅沢な事を思ってしまいます。