平成のたくさん系

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私が東京に居た頃の話ですが、JRの東京近郊の路線はどこも103系だらけでした。例外は山手線・横浜線の205系と中央線の201系位でしょうか?勿論他車との混用という路線もありましたが、大概の路線には103系が走っていました。

それを揶揄して、103系ならぬたくさん系などと言っていました。事実3000両を越す製造数は、国鉄がJRになって各社が各々車両を出すようになったので、恐らく破られないんじゃないのか?とも言われていました。

そんな103系も、205系や209系の投入であそこで消え、この辺から消えと物凄い勢いで減少して行きまして、東京からは姿を消した訳であります。当時の私ですが、この頃から中央線で115系ばかり追いかけていたので、あまり感傷的にはならなかったのを覚えております。毎日通勤で103系に乗っていたので、あまり興味がなかったというのも事実です。


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そして時は流れ、東京近郊路線の通勤型としてE233系なる車輌が登場して、近場の201系やらあそこの205系やらをどんどん置き換えて行きました。

そして驚いたのが南武線の置き換えが完了すると、総製造数が、あの103系を抜くというのです。ごく初期のこのブログや前述の冗談話でも、製造数の多さから「たくさん系」と言っていた記録を抜くんですね。平成のたくさん系の称号を与えても良いかと思います(笑)。

これだけ増えると、これからカラーバリエーションやら形態を具にウオッチするのも面白いかも知れません。事実、読者さんから「中央線だけラインカラーの帯が窓下に回っていない」という違いのコメントを頂き「あ、本当だ」と気づいたり、以前掲載した「ジジ鉄vs小鉄」のように、其の辺のお子さんに教えてもらったりという楽しみもあるかも知れませんしね・・・・(笑)