信州色に流るる清流

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先ずはお礼から。本日、耐久撮影大会に参加された皆様、お疲れ様&ありがとうございました。またいつかお会い出来る事を心から願います。

本題ですが、本日5月3日、Uターンやら行楽のシーズンやらで、中央線の特急が増発されました。殊、本日はJR型の特急車両では足らず、昔取った杵柄宜しく多数の189系が駆り出されました。駆り出されたメンバーで、1本だけ国鉄色でなかったのが、このM50編成でした。

あずさ71号に登板したこの姿、短くはなったものの、かつてのあずさを彷彿させるには充分な容姿、何度となく撮影して、それを現像して、結局失くすという、結果的にはただの散財になった思い出のあずさです。

信州色にイラストのヘッドマーク。久し振りに拝見致しました。いやいや、いい仕事をしております。


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で、この「あずさ」と対になるのは、この115系長野色でしょう。特急のバイオレッドのラインに対して、水色の帯。長野オリンピックの時に採用した、このカラーリングもまた上品さがあります。

こちらも211系の増備に押され、徐々に姿を消しつつありますが、このコンビはやはり中央東線の歴史を彩った車輌と言って良いでしょう。

この日は臨時あずさ3往復、かいじ1往復の国鉄型特急運行と、その送り込み、引き返し回送。更にはリバイバル塗装のC1編成、勿論185系のはまかいじ、215系のホリデー快速びゅーやまなし、などなど多数の臨時列車に加え、いつものメンバーも賑やかに走っており、この誓願寺踏切と金手駅の間を何往復もしながら、12時間以上に亘って撮影し続けました。

誓願寺~金手、耐久撮影大会。昼飯を食べる暇さえない程でした。追ってアップしてまいりますので、お楽しみにしてください(笑)。


15年前と変わらぬ姿

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6両貫通の横須賀色115系、今から15年程前に撮影した豊田区のM1編成です。おいおい、M1と言いながらも6両あるじゃないか?というツッコミが来そうですが、豊田区に120両以上の115系が配属されていた頃のM1編成です。

当時、このM1とM4にのみ、1000番台が組み込まれていて、これが来たら当たりだと喜んだものです。0番台よりも小綺麗な印象もあり、なるべくこの運用に乗るようにしていた覚えもあります。

その後、この編成は松本へ転属して、宇都宮・高崎線から捻出された115系によって置き換えられ、今は姿を消しています。


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そして、時は流れ21世紀になり、今のM1編成を、ちょっと違ったアングルで撮影して遊んでみました。

右カーブを切ってくるM1編成を先頭にした115系。勿論、この画像は現在のM1編成で、後ろにM9編成を従えていますが、真ん中の車輌が上手く隠れたので、見様によっては15年前に撮影した、6両貫通のM1編成のように見えます。

15年前に撮影した写真の続きのようになり、個人的には満足しております。

富山の急行型

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久し振りにスキャナーで呼び起こすシリーズです(笑)。
 
富山港線廃止の直前に撮影した475系などの急行型の画像です。この遠征の時、当時使っていたデジカメのルミックスを忘れるという大失態を犯し、フィルム一眼だけで勝負した覚えがあります。
 
先ずは富山港線方面の出発前に富山駅で撮影した6連。塗装こそ違うものの、急行形電車もコレくらい繋げると迫力があります。この車輌は新しい第三セクター鉄道に引き継がれることなく、余命1年を切った車輌です。今思えば、こんな駅撮りですが撮っておいて良かったと思います。
 
 
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で、当の富山港線には、廃線間近記念で国鉄色が集中的に運用されていました。
 
ラッシュ時には国鉄色2本運用で対応しており、線内唯一の行き違い可能な駅の城川原にて国鉄色が並ぶ画面が見られました。本当は走行シーンを撮りたかったのですが、いくら駅間が短い富山港線とはいえ、ご覧の大雪で、線路端に近づくのは困難だったので、結局駅構内での撮影となりました。
 
今はライトレールとなったこの路線。それぞれの思い入れがあるでしょう。私はこの急行形電車の低速運用が思い出であり、実乗した経験談でもあります。でも、私より先輩方は、73系電車終焉の地。スカイブルーの旧型国電のイメージでしょうか?
 
富山港線はライトレールとなり、北陸線第三セクターになる。そして新幹線で東京まで一直線の時代を迎える。時代は変わろうとしています(良いか悪いかは別として・・・・)。

勝沼さくら郷

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勝沼の甚六桜をぶどうの丘から眺めてみました。
 
午後になって、順光逆光が入れ替わったので、移動してみましたが、この場所で撮影されている方は皆無で、少ししてやったりの気分になりました(笑)。この丘の頂上には「幸せの鐘」なる鐘があります。鳴らすと幸せになれるようですが、ロープで固定されており、鳴らすことが出来ませんでした・・・・。
 
列車が来るまでの間に鳴らそうと思ったのですが、なかなか酷い仕打ちであります(笑)。
 
そんなぶどうの丘から勝沼の駅を眺めると、短い3両編成の115系が駅に入線して来ました。この雰囲気には、却って3両程度が丁度いい長さのアングルです。
 
 
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満開の桜のトンネルを潜り、見送られながら列車は、甲府盆地に向かって駆け下って行きます。逆に上り列車ですと、この距離でもモーターの唸る音が聞こえます。
 
この時期の勝沼は「ぶどう郷」ではなく「さくら郷」。多くの人たちが桜を見にいらっしゃいます。毎年の事ですが、この桜は見事であり、また来年も撮影に勤しみたいと思うのであります。

花と花

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週末の富士急行線には、様々な車輌が乗り入れて来ます。更に元から在籍する車輌が2000形が元PAEで165系、6000系が元205系ですから、休日は特急型、急行型、近郊型、通勤型の国鉄車輌が揃うという、凄いラインナップになる訳です。
 
以前寿駅で撮影した115系の乗り入れ運用をアップしましたが、今回は189系が寿駅に差し掛かった所をアップします。国鉄色ホリデー快速富士山3号。この列車は、もともと設定のある普通列車のスジを使っているので、富士急行線内各駅停車です。故にこの駅にも停車します。そして、この駅を含め、殆どの駅でドアカットをしておりますが・・・・。
 
 
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最後の「あずさカラー」になったM50編成の「ホリデー快速富士山1号」です。
 
この系統のカラーリングは、何気に春の風景に似合っています。ただ、鋼製の長野色はいつまで見れるのでしょうか?御本家では115系は次々と211系に取って代わられており、この車輌もいつまで使うか怪しいし、増して1本だけ違う塗装というのも、メンテナンス的にはどうなのでしょうか?
 
そうは言っても、国鉄時代の花形車輌たちが次々とやって来て、花の下を駆けていく姿。実に絵になっていました。

ロクロクとおじさん

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EF66 27の撮影をしたものをアップします。
 
東海道線の貨物とは思えない短編成、楽勝な運用をこなしていました。おかげで貨物列車にも関わらず、フル編成をカメラに収めることが出来ました。思えば、今迄何年も国鉄型機関車が貨物列車を牽引するものを撮るチャンスはあったはずですが、もともと電車派だったので、熱心に撮影していなかったツケを,
今になって払っている感もあります。
 
何気に27号機に出会う機会が多いのは、恵まれているかな?などと思います。前回も根府川でキャッチ出来たので、我ながら引きの強さにびっくりしております。
 
 
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本当は、これくらい長い編成を引っ張る姿が見たかったのですが、まあ、それはしょうがないですね。
 
で、ここに行くと、顔見知りのおじさんに会うのです。元JRの機関士と自称するおじさん。65も66も運転した、ただ500は全然別物で、覚えるのに苦労した。なんて話から、パソコンを買ったけどメールが出来ない。お前が毎日来てくれれば、パソコンの扱い方を教えてくれ。なんて話まで。
 
おじさん、まあ、ちょいちょい行くから、また暇つぶししてくさいね。何ならパソコンのご相談にも乗りますよ(笑)。