さらば稀代のエンターテイナー

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一昨日M40編成の残り3両がC1編成とともに長野へ帰らぬ立ったようです。いろいろな方の画像を拝見させて頂きましたが、色は褪せ、Hゴムから鍾乳洞の石筍みたいなものが出ている姿を見たら、引退やむなしと思えました。

この画像、M40編成を初めて撮影した時のものです。もともとM5編成ですから、恐らく何度か乗車した車輌だとは思いますが、松本へ行って、豊田に戻って、臨時列車や団体列車で乗ったり撮ったりと楽しませて貰いました。塩川で金手で河口湖で、果ては逗子まで出かけたのもいい思い出です。

このシーン、再現可能なんですよ。115系M40も201系も我が家のNゲージコレクションにありますんで(笑)。そう模型といえば、山梨の中央線ファミリーに、そろそろE233系が欲しいです。


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そして最後に撮影したのは、去年の9月。中央東線での「諏訪湖新作花火大会臨時」「ひまわり号」の2日連続登板の時でした。

正直、ホリデー快速鎌倉号の登板が多く、神奈川っ子のイメージがあったM40。注目されるようになって故郷を捨てたか?というツッコミをしようかと思いましたが(冗談です)、久しぶりに姿を見れる2日間に喜んで出掛けた記憶があります。

身延線との3線区間の真ん中を行くM40編成は、まるで花道を行く役者のようでした。それを言ったら中央線の下り列車はみんな役者になるじゃん!!ってツッコミはナシで(笑)。

何処に出向いても注目の的だったM40、そしてどこの景色にも似合った。

そしてラストは、C1編成を従えて9両編成で長野へ向かったとは。稀代のエンターテイナーらしい最期だと、妙に感心してしまいました。