雨を見たかい

同じタイトルで違う内容の話を書いてみます。前回の前説の「お天気の歌」っていう解釈をした「脳天気」なヤツが居たっていうオチの話。そこから、ちょっと話を横道に入って迷走したいと思います。

クリーデンス・クリアウオーター・リバイバル(長いので、以下CCRとします)の楽曲の「雨を見たかい」。何となく今迄聞いていました。ボーカルの声に特徴があって、耳に残っています。

「CCR」も「雨を見たかい」も名前は知らなくとも、日産セレナのCMソングとして、桑田佳祐の「ONE DAY」のカップリングでカバーされてたりとかで、聞けば「!」って解る筈です。

前回、名前を拝借させて頂きましたが、このCCRの歌った「雨を見たかい」って言うのが、実は重い意味を持っていたんです。「雨」とは「爆弾の雨」だったんですね。ベトナム戦争の最中、パナーム弾とか言う爆弾が雨の様に落とされたのを皮肉った「反戦歌」だったのです。

思えば、63年前まで、日本にも「雨」が沢山降りました。「原爆」という雨も降りました。その雨に命を落とした人も沢山います。

昔、祖父母の代まで我が家は、静岡県沼津市に居ました。それが沼津の街に「雨」が降り、家を焼かれ、疎開して、祖母の実家のある、今の芝川町疎開して、そのまま居着いたという経緯があります。沼津っ子の誇りが高い祖父は、最後まで田舎に馴染まぬまま亡くなりました。

祖母から聞いた話です、「沼津の街に空襲が来て、生まれたばかりの子供(私の父親)を抱えて、三枚橋の下に逃げた、子供が少し火傷して、今でも残ってる」。

確かに祖父母の本籍は「沼津市三枚橋町」。高校時代、その「三枚橋」というのが気になって、一度見に行きました。国道1号線に架かってる橋でしたが、大股で2~3歩歩けば終わるような小さい橋、普通に車で走ったら、気付かないくらいの橋でした。そこに祖母は、小さい子供2人を抱えて逃げ込んだんだ・・・・。何とも言えない気持ちになりました。

そして今、当たり前に平和ですが、平和がいつまでも当たり前であって欲しいです。僕は今、「雨」を見たことはありません。僕も、まだ見ない僕の子孫も「雨」を見ないでいて欲しい・・・・。

夏が来ると、そんなことに思いを巡らすのであります。