上信越満喫の旅の思い出

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今のところ、一番最後に乗った115系は高崎の車両。

山梨から長野。長野からおいこっと車両の普通列車で戸狩野沢温泉、切り離されて普通車十日町。道の駅クロステンに寄りました。

そのあと、飯山線上越線水上温泉に宿泊。今迄泊まった事のない、豪華な温泉旅館を満喫して、水上→高崎で乗ったのが、これです。

115系はもう居ないけど、また十日町水上温泉には行きたいです。

意外とお似合い

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近鉄活動をしてない説がありますが、普通に乗り鉄、模型鉄などやっています。

撮影に関しては、近年スマホの性能がアップしたこともあり、重たいカメラを持って歩かず、スマホで気楽に一枚というスタンスになっています。

何しろ、泣いても叫んでも中央線に115系も183系も帰ってきませんし、特殊な臨時列車系も撮り尽したような気がします。

スマホの過去画像を見ていたら、こんな列車が出てきまして・・・。タラコ塗装のキハ110。小海線開通80周年記念のものですが、結構似合っているな。

などと思った塗装であります。後ろとチグハグなところもローカル線ぽくって良かったです。

同世代を過ごした電車

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スマホ撮影の静岡鉄道1000系、ちびまる子ちゃんラッピングです。

この電車は昔から変わらずに、静岡鉄道を走っていた印象があり、かれこれ40年以上主役だったと思います。

近年、A3000系という新車が登場し、最早余命幾許でしょうが、機会を見て乗りに行ったりしたいと思います。

そういえば、この車両の鉄コレのNゲージ化工事、相当期間放っておいたから、今年のうちにやれたらやりますか・・・。

さよならSVO

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来春のダイヤ改正で、ス-パービュ-踊り子用の251系が引退するようです。貧乏が染みついた私には最後までご縁のない特急列車でしたが・・・。

若干枚数を撮影はしたものの、いい画像はなく、この程度です。どう考えたって消える番は185系の方が先に登場した分、先に消えると思うじゃないですか。この時も、185系を一生懸命撮影していました。因みに、修善寺編成併結列車を中心に、2021年まで185系の踊り子は残るようですがね。

あと4ヶ月、何とか撮影のチャンスが来ればいいなとは思っています。

しかし、この列車を見ると、岡谷の蚕糸博物館で見たお蚕さんを思い出すんですよね・・・。

追い出されて移転

12月15日でYahoo!ブログが閉鎖ということで、3億円事件から51年目の今日、はてなブログに移転しました。

郷に入っては郷に従うというか、はてなに入ってははてなに馴染むよう努力します。

じゃない方の国鉄型185系

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再び九州モノに戻ってキハ185系の画像です、「九州横断特急」へと発展的解消を遂げた「あそ」です。こうして見ると、北海道のキハ183系(非貫通の方)が独特な面構えなのに対し、キハ181系に似た雰囲気。良く言えば伝統的な気動車特急のスタイル。悪く言えば先祖帰りというか、保守的な印象です。

画像のキハ185系ですが、運転席の下に「185 YUFU」と書かれています。しかし誰が何と言っても「あそ」です。熊本駅で撮影したから間違いないでしょう(゚∀゚ )

国鉄型の185系」と言うと、踊り子系統で活躍する電車の方を想像される方々が大多数だと思われますが、こちらのキハ185系もれっきとした国鉄型ですし、電車と同じく最高速度が110km/hな所まで同じというオチまでついております。

今となっては「その程度なスペック」が悲劇の始まりでした。


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国鉄が終焉を迎えJRになった頃から、各地で高速道路が開業し、そこを走る高速バスがライバルになって来ると、振り子気動車に追われるように場末に追い込まれたり、果ては菅原道真のように九州へ飛ばされたりという運命がキハ185系を待ち構えていました。

九州へ渡っても、久大線ではキハ71・72系などのサポート役ですし、豊肥線では2連ワンマンにされてしまったりで、あまりいいポジションとも言い難い。そんな更に余った状態故に「A列車で行こう」の改造種車として、少し注目を集めたのは、不幸中の幸いなのか、災い転じて福となすなのか、微妙な所です。

そういえば、某書籍に「主役になれなかった悲劇の車輌」、気動車部門の代表格に扱われています。電車の185系に比べて、こちらの185系は「何処か不運な印象」があります。