雨敬廻り春模様

こんばんはです。もういいかげん読み手は飽きたでしょうが、今日も「春の画像」です(笑)。

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最初に中央東線が引かれた時、山梨だと「塩山経由」を「雨敬廻り」、長野なら「辰野経由」を「大八廻り」と揶揄されていました。「我田引鉄」のように言われていましたが、当時の技術から考えたら、止むを得ないルート設定だったのでしょう。

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御存じの通り、「大八廻り」は「塩嶺トンネル」の開業で、ローカル線に転じましたが、「雨敬廻り」はバイパス線も建設されず、今も幹線輸送を担っています。中央線を引いた、「軽便王、雨宮敬次郎」の故郷、塩山の春の風景をアップしてみました。

でも、山梨ってある意味すごいですね。塩山の雨宮敬次郎、隣の山梨市は東武を作った根津嘉一郎、北の韮崎は阪急を作った小林一三。意外と「鉄道と山梨」、所縁深いんですよ。